東風睦之

 

東風睦之博士

 

経歴

  • 1912~2010年
  • 父親の後を継いで歯科医になろうと、国立のお茶の水の高等歯科医専(現・東京医科歯科大学)に入学。
  • 1938年(昭和31年)、野口英世博士が、アフリカの地にて黄熱病の研究中に他界。翌年には伝記を読んで衝撃を細菌学者になることを目指す。
  • 校長の計らいで東京帝国大学(現・東京大学)の研究室に入る。
  • 教授が伝染病研究所(現・医科学研究所)の所長に就任すると、一緒に移籍し、そこで医学博士の学位、翌年には医師の資格も取得し医師となる。
  • 帰国後、1954年千葉県市川市で「東風病院」を開業。当初結核病院としてスタートするも3カ月で全焼、苦労して再建。
  • 結核の治療が普及し、研究テーマを「がん」に変更。
  • 1971年一条会病院開設。由来は聖書の中の「ひとすじの道」

人物

  • 渡米時の船の中で、コーラに感動。
  • 仕立ての良いスーツを着こなす「モボ」
  • 寂しがりや
  • 先見の明あり。農地改革の前に小作人から土地を回収。
  • 山手線の広告をみて原宿にある教会に興味を持つ。
  • 日本初の超高層高級な三田のマンション
  • 新しもの好き。自宅のトイレは洋式。
  • 車はアメリカ車(外観が白で、シートが赤)。
  • 1971年に病院を建て直した時に、解剖室を作り、数年後には日本で数台目のCT検査も導入した。

イチジクの研究

 

きっかけ

  • 1961年、旧約聖書の列王記下20章からヒントを得て研究が始まる。<<ヒゼキヤ王が腫れ物ができて死にかけているとき、神に助けを求めると「イチジクのかたまりをつけなさい。そうすれば治るでしょう」と告げられます。その通りにしたところ、腫れ物が引いて助かったという内容>>
  • 腫れ物は、細菌か異形細胞(がん)によるものか? ⇒異形細胞であり、それを治す有効な成分がイチジクの中にあるのではないかと閃いた。

 

抗がん作用の発見

  • イチジク畑で購入後、製氷会社で冷凍保存。 中東から干しイチジクを輸入×⇒生のイチジクへ
  • 最初はイチジクの白い液をハツカネズミをつかって実験。 ⇒次々にネズミが死亡
  • 次に果汁からの抽出液を実験。 ⇒マウスのEhrlich腹水癌を用いて実験した結果、イチジクの果汁を活性炭で吸着し、それをアセトンで溶出したものの揮発性成分が、効果を示すと共に臨床的に制癌作用があることを発見。
  • イチジクの抽出液に含まれている揮発性の物質に抗がん作用あり。
  • 1969年、イチジクによる抗がん物質の製造法の発明特許を取得

 

ヒトへの投与

  • 最初の症例は東風博士の親族 71歳、全身に進行した骨腫瘍であり、自分に試してほしいと申し出てくれた。一度断ったが、嘆願書を持って治療を希望。東風博士は自分に注射して安全性を確かめてから投与。 ⇒硬かった腫瘍が徐々に軟化していった。小さい腫瘍は消失し、大きな腫瘍部分も軟化してきていたが、全身状態が低下しており、5カ月後に他界。
  • 次は胃がん 60代で、大学病院で診断を受けたが、手術を拒否して受診。 3カ月の注射治療で完治。

 

抽出方法

  1. 冷凍のイチジクを解凍した後、肉屋が挽肉をつくるときに使用する機械を改良した装置で、何キロものイチジクを潰してドロドロのペースト状にする。
  2. ペースト状になったイチジクを水で10倍くらいに薄めてよくかき混ぜた後、細長く作ったサラシの袋に入れて漉す。
  3. こうしてできた液と活性炭を一升瓶に入れ、よく振って攪拌し、活性炭に物質を吸着させる。
  4. 遠心分離機にかけて、活性炭だけを乾燥させる。
  5. 乾燥した活性炭を溶媒液に移し、不要な物質を除去した後、蒸留してできたものが、イチジクの抽出液。

 

薬効成分の同定

  • 1969年から理化学研究所と共同研究開始。 当時の最新技術である「高速液体クロマトグラフィー」を使用。
  • 1971年、イチジクの揮発性物質がベンズアルデヒドであると同定された。